デザイナー 小林宏

のり平アニメの「生き字引」小林宏さん(元株式会社読広コムズ シニア・クリエイティブ・ディレクター)にお話をうかがいました。小林さんは、1962(昭和37)年に日本テレビジョン株式会社(現・株式会社TCJ)に入社しコンテ制作室勤務。’65(昭和40)年から現在に至るまで、50年以上にわたり桃屋のCMを担当されています。

のり平アニメ人気に頭を痛める?

小林宏

私が桃屋のテレビCMを担当しはじめたのは、のり平アニメCMの人気に火がついたころです。’64年の「駅長篇」「討ち入り篇」、’65年の「牛若丸篇」、’66年の「温泉篇」「クレオパトラ篇」など、のり平アニメCMの中でも放送を長く続けたものがたくさん登場しました。当時の放送用CMフィルムは、35mmのマスターフィルムから16mmフィルムにプリントし、各放送局へ1週間のオンエア分全部の本数を納入します。放送局は、番組の進行に合わせ、CMの放送順に各社のCMフィルムをつなげて放送し、次の週にそのフォーマットが変わった時などは、またつなぎ直して局のフィルムを何度も使用するのです。先にあげた人気のCMたちは、長寿CMとなったため放送回数が多く、フィルムが傷むと放送局はマスターフィルムからの再プリントを依頼してきます。この再依頼があまりに多くて、「駅長篇」や「クレオパトラ篇」は、ついにマスターフィルムも傷み、もう一度マスターをつくり直したほどです

駅長篇

CMの人気がでるのはうれしいのですが、次のCM制作にプレッシャーがかかります。次回もヒット作にしたいと、あれこれ悩みます。いよいよ明日が締め切りでも、ピンと来る作品ができない。そんな時は、のり平アニメCMの製作チーム、アニメーターやディレクターなどと旅館に泊まりこみ、徹夜の話し合いとなります。そうやってなんとかまとめ上げ、徹夜明けの眠気を飛ばそうと喫茶店に入りコーヒーを一杯。そこでいいアイディアが閃き、あわてて全面書き直し。そんな思い出もありますね。

クレオパトラ篇

CMは30秒や15秒の世界。その短い時間に面白いと感じてもらえて、商品もアピールしなくてはいけない。マンネリにならず、わかりやすく、老若男女に受け入れられ…こうして夜が明けていくのです。いまも、基本は変りません。さすがに徹夜はしなくなりましたけどね(笑)。

※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。