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さて、今回から待望の小林のり一さんのインタビューがはじまります。三木のり平さんの後を息子であるのり一さんが引き継いだのは、みなさんご存知だと思います。しかし、いまでも「吹き替えの声は誰ですか」というお問合せが桃屋に寄せられています。それはなぜか?
ここでは、のり一さんの子ども時代のお話など、たっぷりとお届けします。まずは「吹き替えの声」についてからお話をうかがいます。
最初の吹き替えは「大根の役」
父が亡くなったのは、1999年1月25日。その通夜の席でいきなり桃屋さんからのり平アニメの吹き替えを引き継いでくれないかって言われて、僕も桃屋のCMのファンだったから、いいですよって答えたんです。新年早々父が吹き込むはずだったCMが、体調が悪くて延び延びになってたらしいんですね。その原稿を僕が吹き込んだのが、2月25日。まだ、お父さんの別のCMが流れてるし、急に変わったら寂しいだろうと思って、ちょとだけお父さんっぽく吹き込みました。そうしたら、すごく似てるって評判になったらしいですね。
忘れてましたけどあれから、もう10本以上収録してるんです。そのうち何本かは、のり平っぽくないのがあって、そうすると「最初は息子ののり一が吹き替えてたけれど、最近のは違う」とか言い出す人がでてくる。全部僕がやってるんです。本人が言ってるんだからこんな確かなことはない(笑)。
お父さんは、芸の鬼でしたから、CMでも役になりきってるでしょ。活動弁士調で「召(飯)し取ったり」と言ったり、クレオパトラになって「毒じゃはどこじゃ」なんて言ってる。僕もね、最初はお父さんをちょっと真似たけど、いまはそのCMのキャラクターになって吹き込んでるから「のり平に似てない、だからのり一じゃない」なんて思われるのですね。でもね、最初に吹き込んだのは、キャラクターが大根。役者に大根らしくやれっていわれてもね(笑)。あれは、お父さん(のり平)風にやるしかなかったかもしれないですね(笑)。まあ、父は大根じゃありませんでしたけど。
小林のり一氏(こばやし のりかず)
昭和26年5月日本橋浜町で、どういうわけか三木のり平の息子として生まれる。のり平の出ている劇場が、託児所がわり。落語、芝居を母乳のようにして育ち、いつの間にか役者に。そして、漫画家、コメディアン、落語、ジャズミュージシャンといろいろやりましたものの、いずれも半端のまま。<声だけとはいえ>桃屋さんが父のあとを継がせてくださり、現在にいたっております(本人談)。
※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。