開発秘話

江戸むらさきの瓶

(昭和28年当時)

戦後の原材料統制が解除されて間もない1950(昭和25)年、桃屋の戦後初の新商品が 「江戸むらさき」でした。統制解除といっても、砂糖や醤油は相変わらず入手しにくい 時期でしたが、本物にこだわり、原料を集めました。伊勢湾で採れた青海苔。 これは天日干しですから、自然のゴミがついています。それを丹念に取り除き、 醤油、砂糖、水あめとともに釜に入れ、しゃもじでかき回して煮詰め、手でひと瓶ずつ詰めて ラベルも手貼りして出荷。
ラベルには「良い海苔 良い味 江戸むらさき」の文字があります。 これは「何はなくとも江戸むらさき」のキャッチフレーズができる前から
続くコピーです。 当時はサッカリンなど人工甘味料を使った商品が多く、みんな本物の味に飢えていました。 こうした時代に発売された本物志向の「江戸むらさき」は瞬く間にお茶の間に浸透しました。 機械化された現在も製法や味は当時のままです。ラベルや壜型のリニューアルは何度かありましたが、 「良い海苔 良い味」のコピーのとおり、原料や製法にこだわった「江戸むらさき」は、 半世紀以上も変わらぬ美味しさを守り続けています。

ごはんですよ!の瓶

(昭和48年当時)

海苔佃煮といえば、それまでご飯の上にトンと乗るような固さがありました。新商品の開発コンセプトは、子どもによりおいしく食べてもらおうと、トロリとした海苔佃煮をつくろうと考えました。「旨くて甘い、トロッとした食感」を目指したのです。当時、とろみをつけるには小麦粉や片栗粉のデンプンがほとんどでした。これは冷めると固くなく性質があります。冷めてもトロリとするものを探し、見つけたのがタマリンド。これは熱帯アジアの常緑樹で、さやに入った実が食材となります。熱帯アジアではカレーやジャムの調味料として使うのですが、これを入れるととろみがつくのです。そして、大きな改革は、乾燥海苔から生海苔への変更でした。生海苔のほうが、葉の形状が損なわれず、長いままつかえます。そのために新しい機械を導入。古い機械は社長の鶴の一声で解体されました。古い機械があると、失敗をしても乾燥海苔でやり直せばいいと思いがちです。背水の陣で新商品を開発せよということで「ごはんですよ!」は完成しました。